Audio Dripperブログ

Bill Evans Trio

Jazz piano の革命者、Bill Evans。 ~1~


アナログレコード

Youtubeにアップされていた、1970年頃フィンランドTV局制作のドキュメンタリ。

演奏をする痩せた白人ピアニストは、
襟が斜めに曲がりジャケットから襟の片側が出て、
前歯が抜け落ちたはにかんだ笑顔。神経質そうな姿でピアノと向き合う。
ジョニー・デップが映画で演技してるのかと思う印象。
JAZZピアノを改革したスタイリスト。
生涯薬物ジャンキーだったBill Evans。


Bill Evans Trio  (Youtube) 1970年


エンリコ・イントラのCDに入っていた「Nardis」を聴き、久しぶりにビル・エバンスを聴き返しました。マイルスなどと並ぶドメジャーなので、JAZZを聴く人なら1枚は買ってしまい好きになるか、嫌いになるかはっきりするピアニストかもしれません。オーディオ機器の試聴でピアノトリオを聴く場合に一番多くご試聴されるピアニストの一人だと思いますので、どんな方だったのか私的LOGを加筆修正しアップいたします。


Bill Evansの出発点は6歳からはじめたピアノです。音楽大学時代はドビュッシーやハチャトリアン、スクリャービン、ラベル、ラフマニノフを学び、卒業時は名誉学生にも選ばれた前途洋々のピアニストでした。ベートヴェンの難曲も速攻でものにした天才肌。Bill Evansのプロデビューは13歳。

1970年に残されたインタビューでの自己分析では『….分析が得意で、本質を見ること、基本を知ることが重要云々………努力する事は苦ではなく、プロセスそのものを面白いと思えるように発想を転換した』 と語っています。Bill Evans自身は大学時代からJAZZクラブでの演奏活動が盛んで、当時のアイドルはバド・パウエルだったと言われています。スタイルは違うのですがパウエルの影響は大きく、1956年録音の「枯葉」の演奏や晩年近くのLIVE音源にのこされた演奏でも影響があったと感じる方も多いのではないでしょうか。

Mode JAZZとBill Evans

Bill Evansがジャズシーンで有名になるきっかけはジョージ・ラッセル・グループ在籍時で、マイルス・デイヴィスが自身のグループへの参加を打診した頃。1958年のBLUENOTE盤 『Somethin’ Else』はモードジャズに取り組み始めた初期作品で、ハードバップ・スタイルとモードジャズが混沌とした名盤。マイルス・デイヴィスは翌年の「kind of blue」録音時のメイン・ピアニストとしてBill Evansをスカウトします。当時のマイルス・レギュラー・グループのピアニストはレッド・ガーランドかウイントン・ケリーです。「Kind of blue」では2トラック目がウイントン・ケリーのみで後はビル・エバンスが参加。

「Kind of blue」の収録曲「Blue in Green」や「Flamenco scketches」では、ジョン・コルトレーンもキャノンボール・アダレイもモーダルジャズの解釈が鮮明ではありません。アダレイはばりばりのハードバップスタイルのまま。フロント陣は音数を抑制した、陰影感と浮遊感が際立ったマイルスのミュートが新鮮でした。一方、Bill Evansはマイルス以上に「kind of Blue」の世界観で墨絵の如くスケール(音階・音列)を展開します。新旧スタイルの鮮やかな対比はジャズのスタイル以上に時代性の対比を感じさせる作品となりました。

ジャズが好きなオーディオファイルの方の機器選定は聴く音楽、スタイルに左右されるかもしれません。おおざっぱですが1950年代後半までのビ・バップやハードバップは真空管アンプのMcIntosh&ALTECなどが楽しいものです。モーダルジャズ以降のコンテンポラリーJAZZはMark levinson(MLAS)&JBL等が自己内省化していくジャズシーンにフィットする場合があるようです。スピリチュアルジャズはまた違う機器が…..クラシック、ソウル等言い始めるとジャンルを問わずキリがありません。。

バド・パウエルの一音はとてつもなくオーラがありますが、コード進行による演奏ですのである程度その先が読めるんですね。同様にチャーリー・パーカーにしても凄まじいまでの運指とUPDOWN、一音のオーラはありますが音楽的にはやはり、聴いてる段階から次の展開がある程度わかるスタイルです。音数が異様に多くてもコードの構造からは逃れられないわけです。テクニックは別です。音楽的には安定した中でコードワークの限界で腕を競っていました。パーカーにしろパウエルも光り輝くレジェンドである事に変わりはありません。おそらくパーカーのアルトを生で聴く事ができたら一音からぶっ飛びそうです。

なぜ、ビル・エバンスだけが表現できたんだろう?
Bill Evansのスタイルに戻りますと、モードへ即応した理由は3つ程考えられます。Bill Evansが幼少期からクラシック音楽の和声、先にあげたドビュッシーの「モード」を吸収し、JAZZへと変換できたこと。2つ目にビバップ、ハードバップ全盛期にコードの極限的な分解~再構築などの過程を俯瞰し、実践体得できたため。パウエルやパーカーを研究(晩年期にも再確認したはずです)。

3つ目はマイルス・デイヴィスが “知った” リディアン・クロマティック理論を演奏として、美しく完結できていたからじゃないかと思います。マイルスは「これだ!!」と感じたのかもしれませんが、当時は理論構築やディレクションが不得意だったのかもしれません。JAZZにおけるモード理論の構築はジョージ・ラッセルの仕事かもしれませんが、ミニマムなフォーマットでの演奏や激しくも美しい演奏はビル・エバンスが成し得たとも言えるかも知れません。この点が他のサイドマンとの根本的なちがいです。

BLUE IN GREEN のスコア
BLUE IN GREEN のスコア

上の写真はBill Evansが書き起こしたであろうと想像する「Blue in Green」のスコアですが、実はモード・旋法主体というより、コード・チェンジによる曲のような、テンションありの変な区切り?だと思います。実際の演奏時はBill Evansはマイルス以上に移動間の希薄なトーンでバッキングし、ちょっと歪んだような和音(不協和音)をこの時代に行っていました。感覚のちょっとしたズレが過去の超絶テクのジャズマン達とアプローチが異なります。激流と水滴の波紋ような。(当時のセロニアス・モンクとBill Evansは世界は実は近かったかもしれません)。

この曲・演奏に関してはBill Evansのピアノトリオとマイルスだけの方が音楽的には純度が上がったと思いますが、それだけでは名盤にはならなかったかもしれません。少し歪んだように感じるBill Evansの半音階フレーズは、後のリーダー作でも頻繁に登場します。リリカルなテーマと歪は彼の最大の特徴でもあります。
※「Blue in Green」はすべてBill Evansの作曲だと思います。マイルスはコンポジションのみではなかったのかと思います。

Flamenco scketches

ラストトラックの「Flamenco scketches」もピアノが際立っています。これも実質的にはBill Evans曲だと思います。抑制した音数で空間を描いていく様は過去のジャズピアノではなかったもの。空間に墨汁をにじませていく感じはマイルスとBill Evansだけ。日本の墨絵を比喩にしたライナーノーツは有名ですね。

「Kinf of Blue」は若干asとtsの音量を大きくしてミキシングしていると思います?この意図は不明ですが、時代の対比を端的に表現した製作ワークかもしれません。以降コルトレーンもこの理論体系を会得し、ハードな練習と独自のコード理論で後世まで影響を残していきます。

「Kinf of Blue」の収録風景が残された映像では「So what」の演奏時、コルトレーンのソロがはじまった時、マイルスは興味なそうに煙草を喫いながら、テオ・マセロ(おそらく)と会話。。 マイルスは自らの音が活きるスタイルの模索として、バップの呪縛から抜け出し、新しい響きを確立する意欲的な作品(後に失敗作と言及)で、一番嵌っていたビル・エバンスを収録後、そっこーで解雇します。自身で辞めたのかもしれませんが、肌の色やBill Evansのドラッグ漬けが理由かもしれません。
Bill Evansはブラックアメリカンのミュージシャンに負けないくらいデタラメに破綻し、路上生活者状態でギャラのほとんどがドラッグに消え、右手が腫れて使えなとか、指の震えが止まらない等、写真等のイメージとは真逆の破天荒ぶりでした。


バド・パウエルに憧れ、当時の現代音楽への造詣も深い、
ドラッグ漬けの痩せた白人ピアニスト。
「kind of blue」 の収録後、自身のトリオでより進化・深化させる方向へと進みます。

現代のジャズマンのインタビューを見聞きするとBill Evansの影響を多大に受けています。コルトレーンやマイルスからの影響も大きいです。現代のジャズマンはこれまでのジャズの歴史や多様な音楽、カルチャー、時代の空気を冷静に捉えて、自身の立ち位置から明快に表現しています。そのメッセージが肌で感じられるか否かは人其々です。


AUDIOで愉しむBill Evans

オーディオでBill Evansを楽しむとしたら、美しいリリカルな表現から一歩深く、空間性(サウンドステージではありません)と浮遊感、調性が崩れる一歩手前の半音階ハーモニーをいかに鳴らすかが楽しいところです。もっと突っこむと破綻した彼の人生の一部が美しいテーマと即興性、偶発性から聴こえてくると抜けられません。秋の夜長にBill Evansの生涯作品の変遷を楽しむのもオーディオの愉しみです!


ビル・エバンス-インプロビゼーション・コンセプト
下記:Dan Papirany氏によるビルエバンスの即興演奏概念を日本語訳したものです(ビル・エバンス研究室より)
B.クローマティック(半音階)フレーズ
エバンスは、早い頃から半音階を実験している。これはビバッププレイヤーがよく使っていたものだ。これらのフレーズは定期的にエバンスの演奏に登場し、70年代初頭まで発展し続けた。RE:PERSON I KNEW、BLUE IN GREEN、SINCE WE METなどのアルバムを聴くとこれら半音階フレーズが見られる。実験のとき、エバンスはこの半音階だけに専念していたわけではなく、通常のフレーズに取り込むことで最終的に更にカラフルな即興演奏へと発展させた。EX5では、中範囲にわたるインターバルから小範囲な半音階インターバルへと続く典型的なリックを示している。1小節目の1~2拍目はFm7のアルペジオ(3度で構成)、4拍目と2小節目の1拍目はCからBbへの半音階下降である。

ハーモニックアプローチ(和声への取組み)
エバンスのハーモニーは、他のミュージシャンに比べてとても高度である。彼はドビュッシーやラフマニノフ、ジャズではバドパウエル、チャーリーパーカー、ジョージシアリング等の影響を受けているが、管楽器のような即興演奏メロディでの影響はバドパウエルにある。ハーモニー(和声)ではジョージシアリング(ブロックコード)やジョージラッセル(モード奏法)の影響が見られる。マリアンマックパートランドのインタビューで、エバンスは偉大なジャズ演奏家すべてが影響したと断言している。エバンスの和音への取組みはクラシックとアメリカのポピュラーミュージックに起源する。1956年、彼がジャズシーンに初めて現れたときに見せた和声への取組みはとても新鮮なもので、既に自作の曲は和声的にとても高度だった。ある曲のコード進行が簡単なものである場合に、彼は自分の好みに合わせて変化させた。エバンスが2音ボイシング(発音)を使う場合のメインは3度と7度であり、モダンジャズやビバップの演奏者にこの取組みは非常に有名である。以下の例は2通りの2音ボイシングをCメジャーキーで示す。EX2aの最初と最後の和音は(ルート(根音)を除いて)3度を低い位置においている。 ビル・エバンス-インプロビゼーション・コンセプト


※Maurice Ravel / L’oeuvre Pour Piano   下記:JAZZピアニスト 手島 慎一郎氏のサイトから。
マイルスが、モードを作り上げるときに、ビル・エヴァンスをとても重用したのが、この点です。マイルスが求めていたのは、ドビュッシーやラヴェルのような、ルートがはっきりしない、浮遊感がある、しかし曲全体を統括するものが明快な音楽だったといわれています。
 特にビル・エヴァンスはその点を表現するのに長けていたのでしょう。名盤「Kind Of Blue」では、すでにマイルス・バンドのレギュラー・ピアニストがウィントン・ケリーであるのに、録音時にビル・エヴァンスを使用しています。(中略)
 ラヴェルは、ジャズに高い関心を持っていたようです。今回取り上げたアルバムには収録されていないですが、「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」という曲があり、この曲の第1楽章は、曲のキーに関して少々面白いつくりをしています。ピアノの楽譜はAフラット・メジャー、しかし、ヴァイオリンの楽譜は G・メジャーとしてあり、ヴァイオリンがピアノに対して、半音下で鳴るように設定されています。
 ピアノとヴァイオリンが対等の立場で演奏されるように作ってありますが、ヴァイオリン + ピアノという編成上、どうしてもヴァイオリンが際立ちます。思い切って、ピアノ側がヴァイオリンのバックであると考えると、ヴァイオリンの方が明らかに半音下がって聴こえるわけです。ジャズのブルーノートに近い効果を狙った曲であるのが明確です。
 実際、第2楽章は「ブルース」という名前がついています。 (略)

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